こんにちは。
ちびフェスプロデューサーの さとうゆきです。
頑張る個人店舗のオーナーさんを応援したく、雑貨屋経営の経験からブログを始めました。
最近、ありがたいことに新しい出会いが続いています。
そして、私に興味を持ってくださった方が、いつか奇跡的にこのグログに辿り着いた時、ほんの少しでも「私」を知ってもらえたら嬉しいな〜と思って、
ちびフェスプロデューサーさとうゆきが爆誕するまでを、生い立ちから綴っていきたいと思います。
ご興味のある方のみ下へお進みください。いや、みんな読んで!
※以前の記事と重複している部分もありますが、復習です。
今日は前編。
はじまりはじまり〜
ちゃっかりお祭り女が生まれた日。
結婚後、脱サラをして電気屋を始めてしまった父と
田舎育ちでサラリーマンと結婚したはずが、
電気屋の女将になってしまった母の間に、次女として誕生。
生まれたのは地元のお祭りの日。
そのせいか、大人になっても「〇〇祭り」というワードに妙にそわそわする。
性格は、明るく、自我が強く、要領が良い。
ごく普通の家庭で、伸び伸び育った。
小学校時代は、目立つ存在だった。
学級委員、児童会など抜擢されたり、
生徒代表で挨拶するシーンでも、指名されることが多かった。
決して、真面目なタイプではないが、気が付けばちゃっかり大人の懐に入り込む。
しかも本番に強く、物おじしない性格が、色々な代表に選ばれた基準だったのかもしれない。
中学〜高校も、物おじせず、ちゃっかりな性格は変わらず。先生や友人とも仲良く楽しい学校生活を送る。
「これからの女性は手に職を!」という母の勧めもあり、看護師の道を志す。
実家から通える看護学校に進学し、無事 看護師国家試験合格。地元では唯一の大学病院に就職。
上司にも恵まれ、同僚とも楽しく仕事ができ、毎日が充実していた。
患者さんとは時々仲良くなりすぎてしまい、「うちの息子に会ってくれないか!」と本気でお願いされたこともあった。
そして。。。生まれながらの「ちゃっかり」と「祭り好き」は大人になっても健在だった。
懐かしい写真が出てきたので少しご紹介(笑)
ーepisode:忍者マラソンー
地元の大きなマラソン大会に、忍者の仮装をして参加をしよう!と、 職場(病棟)のスタッフ7人を巻き込み、勝手に忍者マラソンを計画。
(※詳しくはこちらの記事「忍者マラソン」に記載)
マラソン大会翌日の朝刊には、ゴールを切った私たち「忍者」がデカデカと掲載された。
歴史を作った瞬間でもあった。
ちゃっかり祭り女、ここに君臨。
ちなみに。。。翌年もこのマラソン大会に参戦したのだけど、翌年は忍者の数が倍近くに。
忍ばないけれど、忍者で走ると、多くの沿道の方から応援をされ、気持ちが良かった。
忍者の仮装は想像以上に走りやすいし、今ならこの頭部を覆う「忍び頭巾」はマスク代わりにもなるのでおすすめ。通販で購入できます。
ーepisode:浜松まつり
凧揚げでも有名な浜松まつり。
初子の誕生を祝って、毎年5/3〜5の3日間開催される。
170以上の町が参加しての「凧揚げ合戦」や80台以上の屋台が夜の街を華麗に彩る「御殿屋台の引き回し」は、どこからどうみても「祭り」そのもの。
私はというと、祭りには参加したいが、GWも通常営業の病棟勤務(当時は3交代)
それでも何とかして祭りに出たい!と切望し。。。
GWの勤務希望を出す時期なると、勤務表を作成する師長に やたらと仲良く話かけ「配慮」してもらうのが、毎年の恒例でもあった。
【いつか】はいつ来るものなのか。
看護師以外で他の道もあるのではないか、と 趣味のアクセサリー作りを本格化。 委託販売を始めた。
売れ行きは好調だった。
ぼんやりと「いつかカフェ雑貨店を開きたい」という夢を持ち始める。
すぐに開業する自信も勇気もなかったので、まずは勉強をしようと、都内のカフェ起業スクールに通い始める。
看護師の仕事は続けながら6ヶ月間、毎週末 浜松→東京へ新幹線通学をする。
(これも、他のスタッフには内緒にしてもらい、ちゃっかり勤務を「配慮」してもらっていた。今考えると、やりたい放題だ)
切符代と授業料とお酒で、給料もボーナスも使い切ってしまった。
しかしそこで手に入れたものは、今の夫(笑)
同じ夢を持つ夫に出会い、結婚。
結婚後は都内の大学病院に勤務。
生まれて初めて、人間関係で苦戦する。
全く合わなかった。
なぜなら、私の嫌いな言葉「前例がない」「うちはうちのやり方です」を 連発する上司ばかりだったからだ。
仕事は楽しくやりたいのに、終始ピリピリムード。
心身ともに疲れ、免疫力も下がり入院したこともあった。
そうこうしているうちに、第一子妊娠。
妊娠中に東日本大地震を経験する。
「いつか」はもう来ないかもしれないという価値観に変わる。
「雑貨屋をやりたい」という気持ちはずっと持っていた。しかし、育児を言い訳に動けない理由も並べていた。
そんなどっち付かずの私を見て、夫が言った一言。
「やるかやらないか、はっきりしたらどうか」
目が覚めた。
やろう!いつかは来ないかもしれないのだから。
後編へ続く。
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